2016 MY TOP FILMS 10位〜1位

10. シエラネバダ (原題)

クリスティ・プイウ監督作

/ ルーマニア映画 (ドラマ)

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今年のカンヌ国際映画祭で評論家の間で話題になった不毛でカオスなファミリー映画。亡くなった一家の主の法要で、親族がアパートに集まってくる。細かいトラブルが重なり物事は予定通りに進まず・・・。

 間取りが窮屈なアパートの特性を最大限に生かし、そこに親戚が大勢集まる事で生まれる小さくナンセンスな衝突のカオスを長回しながらも時に分割し時に一括りに見せていく。ルーマニアで9.11について議論するナンセンス、革命前後の価値観の異なる家族同士の口論のナンセンス、神父による説教というナンセンス、寝ては喚くを繰り返す赤子のナンセンス、正装で食事をしなければならないナンセンス、連れてきた嘔吐する女を見捨てて姪が退場するナンセンス。とにかく不毛でカオスな空間が見もの。
 ルーマニア映画である必然性にしても、チャウシェスク処刑前後の価値観の転換がそのまま世代の価値観の衝突を促していた。特に共産主義の猛威により弱体化した教会に対する意識が革命後の信教のユルさに続いているからこそ。肉親が死んだ直後というのにあそこまで下品な状況でいられる光景というのは、さすがに信教がユルい日本でもなかなかお目にかかれない。
 三時間の長尺の辛さゆえの観客の『長い。早く終わってくれ』という気持ちと主人公の『早く飯食わせてくれ』という気持ちがシンクロしてくる面白さもあり良くも悪くも感情移入出来る諸刃な作り。ただ様々な小さな衝突が一つの大きなうねりとなり平穏に向かうのではなく、一人また一人と退場していく事で平穏に向かうというのはリアルではあるがシナリオとして物足りなさも感じた。もっとも全てが計算に向かわずナンセンスだからこそ、中々終わろうとしない魅力があるのだが。 

 

9. サウルの息子

ネメシュ・ラースロー監督作

/ ハンガリー映画 (ドラマ 戦争)

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カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。ハンガリー系ユダヤ人サウルは同胞であるユダヤ人の屍体処理に従事する特殊部隊ゾンダーコマンドで働く。ある日ガス室で息子とおぼしき少年を発見、埋葬しようと奮闘する。

 強いボケ味や正方形に近い画角、主役をひたすら長回しで取り続ける演出は最近よく見られがちだが、ぼやけてる背景を見せる事に力を入れたアイデアが他を圧倒。ありがちな映画だと舞台を見せてから人物を描くが、その分離された不自然は臨場感を奪ってしまう。しかしこの映画は主人公がアウシュビッツでの仕事をしながら目的を遂行しようとするところを描いている。奮闘する主人公と背景のエグさという二つの情報を同時並行で見せていく。このリアリティはかなり唸らされた。仕事がアウシュビッツでのユダヤ人処分だから尚更に。
 そして後半に行くにつれてぼやけてる背景だけで主人公も際立っていく。最初は無意味に思えた主人公の目的も、あの状況下では生きる意味を作る事が最も大事だと伝わってくる。その意味でタイトル自体も面白い。ただ意図による個性がはっきりしすぎる作品な分、ぼけている背景で起きている事を見せる引きはあるが、アウシュビッツの光景をボケでみせる演出の面白さに慣れてしまったら終盤まで飽きてしまうところも否めない。とはいえワンアイデアとそれを実現させる力量は新人監督の中でも群を抜いている。 

 

8.  最後の追跡

デヴィッド・マッケンジー監督作

/ アメリカ映画 (Netflixオリジナル ドラマ)

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日本でも観れるNETFLIXオリジナル映画が2017年のゴールデングローブ賞作品賞にノミネート。貧困にあえぐテキサスの町で、計画的に銀行を襲う兄弟と定年間際のテキサスレンジャーとの攻防を、独特の緊張感で描き、アメリカの闇から歴史、宗教などを巧みに会話に取り入れた現代西部劇。
 逃亡する銀行強盗側と追跡するレンジャー側両者の相棒との関係性を掘り下げる事で善悪を超え『どちらにも感情移入させる』という構造は、終盤に行くにつれ緊張感を与え両側の一挙手一投足を固唾を飲んで見守らせる事に成功。シンプルなストーリーなのに後半どう転ぶか全く分からずとにかく引き込む力はもちろん、淡々とストーリーは進みながらも会話も意外と皮肉たっぷりでユーモアがある。加えて寂れたテキサスの消費者金融の看板があちこちに見かけられる光景と、今も変わらぬ壮大な先住民族の住んでいた大地が哀愁を誘いかつ重みを与えてて面白い。
 何故この映画がNETFLIX配信なのかと考えると、やはり劇場が近所にある都会の人間ではなく田舎に住むアメリカ人が胸を熱くする映画だからなのだろうか。『地方の貧困』『父性の失墜』『住民が銃を持つ理由』『善悪を超えたプロット』どこを切り取ってもドナルド・トランプに投票したであろう地方に住むアメリカ人のみを描いた映画であり、今のアメリカを理解するヒントになりそうな傑作。
 

7. この世界の片隅に

片渕須直監督作

/ 日本映画 (アニメ 戦争)

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1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。軍港ゆえ空襲にさらされる状況でも懸命に生きるすずだったが、ついに1945年8月を迎える。
 朝ドラダイジェストの様な凄まじいテンポで過不足なくその癖ゆったり見せている。そのあまりにも独特すぎるテンポが何故成立しているのか。結局の所すずの失敗した時の表情が全てなのではないか。あの表情が細かいエピソードのオチとしてアクセントになる事でテンポが格段に良くなり、それでいて戦時下を生きながらもほのぼのとしたゆったり空気感を与える。そしてあの表情が消える終盤には、その落差として機能しはじめる。
 そして今作を見て特に感じたのは【戦時中と現代は繋がっている】のだと意識的に描いているという事。当時の衣食住や男女観は現代とは全く異なる。しかし日常を徹底して描くことで、観客と同じ喜怒哀楽を生きている事を意識的に感じさせ、そして戸惑わせる。『戦時下でひもじく、夢もなく、勝手に決められて嫁ぎ、夫の実家で義姉にいびられながら暮らす』という生活も『コンビニもあって、夢を抱き、自由恋愛ができる』という生き方も人間の生き方として大差ないのだと感じさせ、そして今失ってきている生活の魅力に戸惑わさせられる。呉という舞台設定も絶妙だ。自分も車で山に登って俯瞰を見た事あるが、海上自衛隊の艦が見える今の風景と今作の戦時中の俯瞰は紛れもなく繋がっている。そして広島市内ではなく呉という距離感。すずの上に原爆は投下されずキノコ雲を眺めるという描写に抑える事で、観客にもより共感しやすい原爆との距離感で描く事に成功している様に感じた。
 今の日本人の多くは戦争を経験しておらず、過去の戦争は遠くから眺めるもの。露骨に原爆が頭上に落とされるのではなく『確かに落ちた』という事実を被曝せずとも最も近い距離感で体感させる事が重要だ。そして現代と繋いで描かれる日常に突如入り込む空襲描写のリアルは観客に初めて戦争を生きるという事を実感させる事になる。過度に反戦を描けばかえって息苦しさを産む。リベラル側の理想論を説教くさく感じてしまう人にも、想像力で当時への想いを委ねさせているという点でまさに現代的な作品だ。宮崎駿的な理想の生き方への追求よりも、こちらの方が2016年にはピンとくるものがあるかもしれない。

6.  エクス・マキナ

アレックス・ガーランド監督作

/ アメリカ映画 (SF)

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アカデミー賞特殊効果賞受賞作品。巨大検索サイトのCEOの別荘に招待された社員がCEOが開発したA.I.エヴァチューリングテスト(人間と区別がつかないか判定するテスト)を依頼されるが・・・。
 低予算ながらも『マッドマックス 怒りのデスロード』のアカデミー賞V8を阻止したA.I.エヴァのヴィジュアルが本当に素晴らしい。田舎娘的な純朴なアリシア・ヴィキャンデルの顔とガリガリなロボット腕とスケルトンボディのギャップが堪らないデザイン。そしてキョウコ演じるソノヤ・ミズノのクールビューティなルックス、登場人物が男2女2の映画で女性陣2人ともヴィジュアルが今年随一。劇伴も異常に良くまさかのPORTISHEADのジェフ・バーロウが担当。エンドロールで流れる曲がSavagesの『husbands』というのもヴォーカルのルックスとエヴァを重ねられる。
 ストーリーに関して物語動機は『A.I.チューリングテストを行う』というシンプルさで登場人物も4人なので難解な題材になりながらも置いてけぼりを食うことはない。その中でA.I.とはじめて喋る緊張感は痺れ、CEOの心を探りながら進化や本当の狙いを探りながら観れる面白い内容。しかしシンプルで展開がゆっくりなので裏を返せば見る側に緊張感がなければかったるい映画となる。加えて後半の展開に関してどんでん返しが何個かあるが登場人物が少ないゆえに観客が推理しやすい作りなので結末は想定内で肩透かしをくらうもの。
 

5. エブリバディウォンツサム!!

リチャード・リンクレイター監督作

/ アメリカ映画 (青春)

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 監督曰く『6歳のボクが、大人になるまで』の精神的続編・・・らしい。1980年夏、ジェイクは、野球の推薦入学生として大学に通うことになる。本格的に授業がスタートする前の数日間、彼は新しく知り合ったチームメイトたちと共にどんちゃん騒ぎを始める。

 観客の多くが人生で通過したバカ遊びやただ楽しい瞬間のパターンをほぼ過不足なく描き、それを実現させるために障害になるであろう要素が徹底的に排除。時間を描くのが得意なリンクレイターらしく新入生の新学期前三日間という設定にする事で『楽しい時間の終わり』を感じさせない。将来はメジャーリーガーな名門野球部の特待生設定なので未来を考える重たさも与えない。

加えて対立軸となる登場人物は出さず、出てきても新しい体験をくれるものとして描いてた。体育会系なのにパンクライヴも楽しむし、演劇部のパーティーも楽しむ。ありとあらゆる学生の遊びのパターンを見せられる中ギャンブルがないのは何故なのかと少し疑問に思いもしたが、ギャンブルは『負け』を観客に浮かばせる可能性があるからだろう。敢えて障害を描かず挫折を描かないバカ映画を1980年代のアメリカを舞台に今のアメリカで描く意味は途轍もなく深い。

 

4. シビルウォー/キャプテンアメリカ

アンソニー&ジョー・ルッソ監督作

/ アメリカ映画 (アメコミ マーベル) 

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マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU) 第13作品目。これまでのシリーズが娯楽映画として『物量とお祭り的力技頼りで茶番要素満載だった』点を逆手に取った構成。それでいて娯楽映画としての満足を与えられる展開を必然的に用意し、現在の二つに分かれてしまったアメリカを象徴的に描く。

 『アベンジャーズ国連が管理すべきか否か』という問題提起の中、管理賛成派のアイアンマン側と反対派のキャプテンアメリカが対立。真っ当なのはアイアンマン側だが『管理する側が間違ってる可能性もある』という一個人の人権を主張するキャプテンアメリカの理想論がまさに自由の国の象徴的。アイアンマンとキャプテンアメリカ、どちらの意見が正しかったと短絡的な結末にせず『個人主義』である事がアメリカにとって重要だと再確認させる内容。

 娯楽として今作一番の売りはアベンジャーズの紅白戦だが、設定上被害者を出せないので派手な大量破壊アクションで戦いを描けない分能力バトルに特化。MCUとしては前作でアントマンを登場させ、今作でついにスパイダーマンを登場させた最大の意図はここにある。スカーレット・ウィッチの超能力が万能すぎるのと、チートになりかねないヴィジョンが想像より弱いというツッコミ以外はほぼ能力バトルは面白く、派手な破壊がなくても十分マーベルは観れる事を証明した。加えてウインターソルジャーの会議場破壊は誤解だったとアイアンマンが気づき、仲直りする茶番的な帰着点にミスリードさせてからのエゲツない展開はストーリーとしても秀逸。MCUシリーズが毎度毎度茶番ばかりゆえ、それがより重たくのしかかる。

 

3. ハドソン川の奇跡

クリント・イーストウッド監督作

/ アメリカ映画 (実話ドラマ)

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2009年真冬のNYで起きた飛行機のエンジントラブルによるハドソン川への不時着水。乗客155人が全員無事だった事件の機長を主人公にした実話モノ。

 クリント・イーストウッドの映画は毎度一貫したテーマだ。己の正義を貫く者による誤った判断(殺人)、その連鎖、PTSDになってしまう主人公像。主人公は常にアメリカを象徴する人物と大体決まっている。しかし今作は監督がこれまで一貫して描いてきたテーマの反転であり、ある意味監督自身の結論とも捉えられる。

 主人公が己の正義の下に正しい判断をし、そして誰1人死なずに映画が終わる。それも主人公は特別な事はせず、日頃の誠意の積み重ねが自分の人生に偶然相乗りした人を救う。そしてそれはその人の家族や友人を救う事になる。まさにクリント・イーストウッドが監督を続けている意味はこれなのだろう。そして組織が誤った判断をした時、自分の正義で人を救えるかというテーマも含まれている。ある意味描いているものは『シビルウォー/キャプテンアメリカ』に近い。今アメリカが大転換期を迎え誤った方向に向かう可能性もある分、こういう自己判断力という要素は特に重要なファクターになりそうだと予感させる。

 娯楽映画としても良くできており全編IMAXカメラで撮影された映画なのでIMAXシアターで見たが飛行機に搭乗の臨場感を与え、NYの美しい都市風景・飛行機のジェット音・視界を埋める画角の画面は見応えもある。後半の法廷モノとしてのシミュレーションは、フットボールの敵チームのPKを見つめる様な手に汗握る内容。エンドロールで流れる音楽も大袈裟なエモーショナルな『USA!USA!』な『アルマゲドン的なもの』ではなく、しっとりとしたジャズというのも大きなヒーローが必要のない現代を象徴している。地道な仕事の中で誠意を持って臨めば誰にも人を救う事ができるのだと思わされる。これまでのクリント・イーストウッド監督作に比べたらあまりにもこじんまりした作品だが、だからこそ伝わるものがあった。 

 

2. LOVE 3D

ギャスパー・ノエ監督作

/ フランス映画 (恋愛)

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一人の女性への偏愛を嫉妬や後悔とひたすらファックの思い出で描く。『カルネ・カノン』的な偏執的な主人公像、『アレックス』的な時系列操作、『エンターザヴォイド』的なドラッギーな演出でまさに変態ギャスパー・ノエ監督の真骨頂的な映画。

 男は女々しくいつも過去にとらわれ、そして意思が弱くてクソである。そんな事実を恥じらいも捨ててさらけ出す。『ハドソン川の奇跡』や『この世界の片隅に』で世界や日本を考える事も大事だが、どんなに真面目に世界の事を考えても「好きな女」こそが世の中で最も重要であると言わんばかりのダメな側面を徹底的に描いている内容。しかしそれも真理と思わざるを得ない。

 『何故主人公がヒロインに惹かれるのか』『なぜヒロインが主人公を愛しているのか』などの情報を、無駄なストーリーを排してファックの演出のみで描ききる。劇伴も照明もギャスパー・ノエらしくドラッギーでアートさは健在。

 ただし「好きな女が世界の中心」という映画な分、ヒロインに惹かれ主人公に感情移入しなければ苦痛な映画になるだろう。女性目線でも主人公の男をカワイイと思えなければかったるい映画に見えなくもない。その点、自分はジャンキーで変態で女王さま的なヒロインがかなりどストライクで、飽きる瞬間がほとんどなかった。だからこそ一つ気に食わなかったのはラストで出会ったばかりの二人を描いた場面。何故、出会ったシーンでヒロインが純朴でイモい格好をしているのか。最初から女王さま的な風格のキャラで良かったのに。

 

1. キャロル

トッド・ヘインズ監督作

/ アメリカ映画 (恋愛)

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パトリシア・ハイスミスの原作をもとに1952年のニューヨークを舞台にデパートのアルバイト女性とエレガントで洗練されたマダムの恋愛を描く。

 結局この映画の見るポイントは1点。それは【想い合う二人の距離感】で、この50年代演出も同性愛差別の時代背景もあくまでもそれを描くための飾りにすぎない。想い合う二人の距離感を描く、まさに純愛映画だ。『純愛』を丁寧に描くのが難しい昨今。観客の目線にしても恋愛に関する情報過多で冷めた目線で恋愛を見るのに慣れてしまっている。描き方にしても童貞処女で描くと思い合ってるのに縮まらない距離感に『ウブ』という上からの目線が入ってしまうし、禁断の恋で描くにも起承転結の構成上悲恋を強調するため両想いと知ってから身体的に結ばれる展開がトントン拍子になりがちだ。

 今作も禁断の恋には違いないが、50年代という同性愛が認められていない時代設定を強調する事で二人の純愛の【距離感】を特に強調して描いていた。序盤から想いあってるのに通例の悲恋通りにトントン拍子に身体的な距離感が縮まらない。とは言えそこにウブさもなくイライラもしない。その意味で同じレズビアン映画『アデル ブルーは熱い色』とは全く見るべきポイントが異なる。あの作品はレズビアン映画を普通の現代の男女の恋愛と同様に描いた事に意味があり、あの二人は純愛ではない。とにかく恋愛の距離感が美しい。そしてそれを成し遂げたケイト・ブランシェットルーニー・マーラ、二人とも素晴らしい。

    今作を何故自分が1位にしたのかと考えて、結局LGBTみたいなリベラルな価値観を描く表現って『リベラルであること』を主張するのではなく『リベラルを使う事でいかに普遍的なものを切り取るのか』だと思うし、LGBTがその段階に来たという意味で一歩先を行ってると思うのだ。




    恋愛映画を1位2位にする所が何とも自分らしくてすみません。そして世界中の映画を見たつもりだったのですが、やはり世相を反映しているせいかトップ10は半数以上アメリカ映画という結果となりました。